+Profile
このブログは「REDWELL」のコンテンツの一部です。
+Twitter
+RECOMMEND
A
A (JUGEMレビュー »)

オウムを内部から撮ったドキュメンタリー。価値観変わりますよ。
+OTHERS

無料ブログ作成サービス JUGEM

paperboy&co.
RSS 1.0
ATOM  0.3
<< July 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 終戦記念日 | main | 久しぶりに >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
映画「ひめゆり」+Coccoミニライブ
高校の後輩から抽選に当たったのでとお誘いを受けたので
昨日は映画「ひめゆり」の上映会に一緒に行ってきた。

上京する後輩を東京駅で出迎えて
新宿のやんばるに行って沖縄料理のお昼ご飯。
その後、新宿御苑沿いを歩きながら四谷区民ホールへ。

--------------------------------------------

第一部は「ひめゆり」の上映。
ひめゆり学徒の生存者が
実際に経験した沖縄戦を語るドキュメンタリー。
語られる内容の多くは想像以上の地獄絵図。
人が粉々になって肉片が飛び散ったり
脳みそや内臓があたりに垂れ流されたり
そういった状況を時に淡々と
時に感情的に語る。
捕虜になるくらいなら自決しろという教育を
生まれた時から受けていたからということで
多くの人が自決用の手榴弾で自決したという話もあった。
そんな戦場の中で歌を歌ったという話はとても印象に残った。
いまだに遺骨が回収されずに残る場所があったり
戦争後に人と関わり合うことを避けて
当時のことにも口を閉ざしたままの人がいたりと
生存者の中で戦争が終わっていないことがよく分かった。

映画を見ていて思ったことは「早く終わらないかな」ということ。
第二部のトークでCoccoも行ってたけど
語られる内容があまりにも凄惨すぎて
もう聞いていられないという気分になった。
終わった時はやっぱりちょっとほっとした。

映画を見ていて疑問に思った点はいくつかある。
生存者が体験を語るのがあまりにも流暢すぎることや
沖縄の人なのに標準語で語ることなどが
台本があるかのように見えてしまう部分があること。
幾人かの内容が似ているので
お互いに語り合う中で記憶が混じり合ったり
語り合う中で違った形で固定化されている懸念があること。
そういった部分は現実に起きた事実と乖離している可能性があって
扱いとしては慎重さが必要かなと思った。
だけど大切なことはそんなことじゃなくて
生存者が共有する真実がそこにあるということと
その壮絶な真実を与えたのが戦争だということ。
実際に何があったかよりもどう感じているかが
とても大事なことのように感じた。
あと気になったのは戦争体験を語っている映像だけなので
戦争後から今にいたるまでの間に
生存者が辿った軌跡が見えないこと。
戦時と今しか見えなくて間が抜け落ちていて
何を思って生きてきたのかとか
どうやって人前で語れるほどに自分を取り戻したのかとか
そういうものが感じられない構成になっていたこと。
戦争の悲惨さを伝えることに傾くあまりに
もっと伝えられるはずの人間の痛みが見えなくて
そこは映画の構成に不満を感じた点だった。

フィルムとして貴重やなと思ったのは
アメリカ軍が撮影したと思われる沖縄戦の映像。
戦車型の火炎放射器が沖縄を焼き尽くしていく様子や
壕に爆弾を放り込んで爆発させる映像など
あまりにも生々しい映像がそこにあって
TVゲームのような最近の戦争の映像とは違う
強烈なリアリティがあった。
恐怖そのものだと思った。

映画の中でよかったなと思うのは
戦争を批判する映画ではあったけど
誰かを責めるような映画ではなかったこと。
軍国教育に対しての批判は少しあったけど
戦争相手だったアメリカのことさえ
批判的には感じられなかった。
誰かを批判してしまうと政治的な意味が強くなってしまって
戦争の事実を伝えたいという意図が歪められることがあるし
こういう見せ方の方が純粋に
戦争そのものがいかに悲惨かがよく伝わるなと思った。



第二部は監督の柴田昌平さんとCoccoと
生存者の島袋淑子さん・宮城喜久子さんのトーク。
生存者の方が振り絞るように
「生き延びてしまった」と語る姿は
悲痛としか言えないものだった。
もう自分を許して欲しいし
回りからも許されて欲しいと思わずにいられなかった。
「死んだ人のことはどうしようもないけど
 生きてて目の前にいる人に何ができるのか」
というような内容をCoccoが語っていて
それがあまりに剥き出しの感情を露わにした語り方で
全身で生存者のおばあちゃん達のことを思ってるのが分かって
グラグラと心が揺さぶられた。



第三部はCoccoのミニライブ。
ギターの長田さんと二人で弾き語り。
ギターを弾きながら歌うCoccoをちゃんと見たのは初めて。
ギターは下手やったけど
そんなことはまったく問題じゃなくて
とにかく伝わってくる感じがすごい。
沖縄の歌をたくさん歌ってたけど
自分の歌を歌う時とは違って
楽しそうで伸びやかな歌声が印象的だった。
陽気でどこか悲哀があって
沖縄の歴史を思わせるようだと思った。
ひめゆりの人たちが戦地で歌ったという「お菓子と娘」も歌った。
戦地に行く前の楽しかった思い出を
おばあちゃん達が感じられたらいいなぁと思った。
自作の曲を歌う時のCoccoは圧倒的で
全身が声になっていた。
凛としていながら包み込まれるようで
この時は鳥肌が立ちっぱなしだった。
沖縄限定で発売されるという新曲「ジュゴンの見える丘」は
今のCoccoを象徴するような
優しく包み込むような素直な歌だった。

--------------------------------------------

終わった後は新宿観光したり
ちょっと贅沢して鉄板焼き食べたりしてから
家に来て一泊。
誰かが同じ部屋で寝てたせいか
久しぶりに熟睡できた気がした。
朝起きて寝てる姿を見て
「今なら僕が死んでも孤独死にはならんなぁ」
とか考えてた。
たぶん一人暮らしが長い人なら一度は考えるだろう妄想から
解放された感じがしてちょっとだけ安心な気持ちやった。

朝から新宿に送り届けてバイバイした。





  悲しみは いらない
  優しい歌だけでいい
  あなたに降り注ぐ全てが
  正しい やさしさになれ

【ジュゴンの見える丘:Cocco】



ひめゆり
http://www.himeyuri.info/
| 映画 | 20:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 20:07 | - | - |
こんばんは、あまのといいます。
映画は、別の用があって申し込まなかったクチです。
思うところあり、コメント差し上げます。

> 生存者が体験を語るのがあまりにも流暢すぎることや
> 沖縄の人なのに標準語で語ることなど

数年前、機会があって学徒隊の生存者の証言を聞きました。
約100分間。見事に、時間通りに終わりました。

後で知ったのですが、証言者は多い人は、シーズンになると(修学旅行シーズンということです)一日に3本4本と話して回るそうです。
沖縄へ来た修学旅行生に話すわけですから、標準語(という言い方は好きではありませんが)に近いもので話すことになります。

話し始めの頃(何年前なのでしょうか?)ならともかく、この数年で収録したとしたら、かなり流暢におなりだとおもいます。
私も数年前に聞いたとき、なんの問題もなく聞き取りが出来ました。

話す内容が大きく変わることは無いでしょうから、台本があるかのような流暢さは当然とも思えます。
証言者は自分たちで、台本を作ってきた、とも言えると思います。

| あまの | 2007/08/19 6:40 PM |
>あまの
ういうい、はじめまして。
コメントありがとうございます。

僕は関西人なので僕にとっては関西弁が標準語なので
標準語という表現が好きでない気持ちは分かりますね(笑)。
でもまぁそこは一般的な用語を使わないと
意味が通らなくなってしまうので・・・。

そんなに何度も語ってるとは思わなかったのでびっくりです。
どれくらいの年月をかけて語ってきたのか分かりませんが
それだけ話をしてれば定型は出来上がるでしょうね。
実際にその語りを聞いたことがないので
疑問に思ったところを感想に書いてたんですが
実際に聞いた人から見てそう見えるのであれば
そうかもなぁと思った次第です。
機会があれば自分で聞いてみたいなと思っています。
| のいず | 2007/08/19 9:33 PM |









http://noise1129.jugem.cc/trackback/906